言の葉を石に刻んで オオサカ文学碑マニア 言の葉を石に刻んで オオサカ文学碑マニア

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公開日2024.09.10

紹介してくれるマニアさん

《大阪あそ歩》ガイド酒井裕一(さかいひろかず)さん

日本最大級の規模のまち歩きプロジェクト《大阪あそ歩》のガイドで、「大阪市立住まいのミュージアム 大阪くらしの今昔館」(以下、今昔館)のボランティア“町家衆”としても活躍。元大阪市役所の建築技術職で大阪市内の地理や歴史に造詣が深く、《大阪あそ歩》では、古地図と現在の街並みを比較したオリジナルのガイドで好評を博している。また、ブログ「今週の今昔館」も執筆中。

小説の世界観を碑文から感じて

建築技術職として、大阪市役所に35年間勤務していました。その頃から「地域の人と仕事をするには、その地域のことを知っておかなければならない」と、大阪市内の地理や歴史について勉強する機会がありました。退職後に《大阪あそ歩》のガイドをするようになったのは、市役所時代に蓄えた知識を第2の人生でも生かしたいと思ったのがきっかけです。さらに、市役所の頃に運営に携わっていた「今昔館」でも、ボランティアの町家衆として、館内で町家ツアーや近代フロアのガイドなどを行なっています。
かつて「天下の台所」とも呼ばれた大阪は、経済と文化の中心地として、古くから栄えた町です。実際にガイドをしていても、歴史的な見どころが多く、小説の一節が刻まれた文学碑も、Osaka Metro沿線のさまざまな場所で目にすることができます。ここでは、みなさんがよく知っている人気作家を中心に、13カ所の文学碑をピックアップ。今回は文学碑を広義的に捉え、俳句や詩などを刻んだ碑も、文学碑に含めて選定しました。

文学碑を、作家や作品を知るきっかけの一つに

文学碑は、作者のゆかりの地や作品の舞台となっている場所に建っていることが多く、碑の一節を読むと、時空を超えて作者の存在を身近に感じることができます。また、作品の世界観がダイレクトに伝わってくるので、作家や作品のファンはもちろん、学生時代に勉強した程度でよく知らない…という人も、興味を広げるきっかけの一つになるのではないかと思います。

地域の歴史にも触れながら、文学碑めぐりを楽しもう!

私が《大阪あそ歩》でガイドをするときは、200年前(江戸時代)、100年前(大正時代)、現在の大阪の地図を比較しながら歩いているのですが、古地図で地域の歴史を紐解くことは、とても興味深いものです。今回の記事でも、文学碑が建っているエリアの歴史や、そのほかのおすすめの史跡を併せて紹介しているので、こちらも文学碑めぐりの参考にしていただけると楽しみが膨らむはずです。
目次

心中事件を題材にした、人形浄瑠璃の大人気作家の碑

国立文楽劇場の完成を記念して建立。近くに国指定史跡のお墓も

「心中事件」「人形浄瑠璃」と聞いて、真っ先に思い浮かべるのが近松門左衛門。松尾芭蕉、井原西鶴ともども、元禄文化を代表する歴史上の人物の1人です。
三味線の伴奏と太夫の語りによって、物語を進める「浄瑠璃」。これに人形劇が結びついたのが「人形浄瑠璃」で、現在も「文楽(ぶんらく)」としてたくさんの人に親しまれています。
大阪で成立した文楽は、2008 (平成20)年にユネスコの「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に記載されました。現在は大阪市中央区日本橋にある「国立文楽劇場」を中心に、公演が行われています。
1984(昭和59)年に開場。設計は建築家の故・黒川紀章氏。酒井さんによると、大阪市立高津小学校の跡地に建てられたもので、国立文楽劇場の前には「旧高津小学校跡地」の石碑もある。
近松門左衛門の文学碑は、国立文楽劇場の完成記念事業の一環として建立されたものです。碑は、国立文楽劇場から東へ向かって歩いて3分ほどのところにある、下寺町交差点付近の広々としたスペースにあります。
「高さがあって目立つので、“この道を西にまっすぐ行けば国立文楽劇場がある”という目印にもなると思います」と酒井さん。
近松門左衛門といえば、『曽根崎心中』が有名ですが、こちらの碑に刻まれているのは『心中重井筒(しんじゅうかさねいづつ)』の一節。この作品は、1704(宝永元)年に実際に起こったとされる、心中事件を題材に書かれたものなのだそうです。
碑文は、現在は残念ながら読みづらい状況に。
碑の上の方には、刻印された2つの紋章があります。これらは、江戸時代に人気を博した、人形浄瑠璃の劇場の紋章とのこと。
左下にあるのが、初代・竹本義太夫が開いた「竹本座」の紋章で、近松門左衛門を作者に迎え、大成功を収めたのだとか。右上にあるのが、義太夫の弟子である、豊竹若太夫が開いた「豊竹座」の紋章で、竹本座とともに「竹豊時代」と呼ばれる全盛期を築いたのだそうです。
刻印された2つの紋章が、文楽の歴史と伝統を伝えている。
酒井さんによると、近松門左衛門文学碑から歩いて15分ほどの谷町筋沿いに、近松門左衛門のお墓があるというので、まち歩きがてら、こちらにも足を延ばしてみました。
実は、近松門左衛門の墓と称するものは複数あるそうで、このお墓を含めた2基のみが、国指定史跡に指定されているそうです。
「大阪谷町郵便局」の近く。右の狭い通路を入った奥にお墓があり、今なおファンがお参りに訪れる姿も。
★マニアさんのおすすめポイント★
国立文楽劇場への目印にもなる、高さのある文学碑。文学碑からお墓への道中には、仁徳天皇をお祀りする、古典落語の舞台としても知られる「高津宮」があるので、こちらにも立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
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日本人初のノーベル賞作家の、反橋への心境を描いた一節

小説の舞台に建てられた碑。境内めぐりも楽しみの一つに

日本人として初めてのノーベル文学賞を受賞した、『伊豆の踊子』などで有名な川端康成は、1899(明治32)年、現在の北区天神橋1丁目に生まれました。幼少期から青年期は大阪府茨木市で過ごし、茨木市内には、出身校の茨木中学校(現在の大阪府立茨木高等学校)や、『川端康成文学館』などがあります。
ご紹介する文学碑が建つのは、全国約2300社の住吉神社の総本社である「住吉大社」の境内。住吉大社は、川端康成の小説の舞台となった地です。
太鼓橋とも呼ばれる「反橋」があることでも有名。大阪を代表するパワースポットで、外国人観光客にも人気。
小説の名は、その名も『反橋』。戦後間もない1948(昭和23)年に発表され、さらに『しぐれ』『住吉』と続き、合わせて「住吉三部作」と呼ばれています。
石灯籠の後ろで静かにたたずむ文学碑。西大鳥居をくぐって反橋を渡り、右へ曲がってしばらく進んだところにある。
碑面を見ると、

反橋は上るよりも
おりる方がこはいも
のです
 私は母に抱かれて
おりました

という一節が書いてあります。特に小さな子どもにとっては、反橋の急な傾斜はこわいもの。いつの時代も、反橋を目の前にして思うことは、同じものなのだと感じます。
ところで、現在の反橋は床面が階段状になっていますが、かつての反橋は床面に段差がなく、つるっとした面に穴が規則的に開いていて、上るときはつま先を、下りるときはかかとを入れて、渡っていたのだとか…これは大人でもさすがに怖い!そんなことも、文学碑を見たり、反橋を渡ったりしながら、思い出してみてください。
「川端康成」の文字は、自署をもとに刻んだものなのだそう。
住吉大社といえば、大阪の観光地としても全国的に有名なスポット。せっかくなので、酒井さんがおすすめする、住吉大社の見どころもめぐってみましょう。
まずは第一本宮から第四本宮の4棟からなる「住吉造」の「本殿」。住吉造は、神社建築史上最古の様式の一つといわれており、4棟とも国宝建造物に指定されています。
現在ある本殿はすべて1810(文化7)年に造られたもの。写真は第一本宮。
住吉大社の中でも、特に人気を集めているのが「五所御前」。石垣の中に敷き詰められた小石から、「五」「大」「力」と書かれた3つの小石を探し、これを御守袋(500円または1,000円)に入れて御守にすると、願いが叶うというものです。
願いが叶った人は、授与所にある「感謝の小石」3個と、最初に授かった小石3個を合わせて、元の場所に「倍返し」しましょう。
五所御前は、約1800年前に住吉大神が鎮座したとき、最初にお祀りされたところと伝えられる神聖な場所。
五大力とは「体力」「智力」「財力」「福力」「寿力(命)」のこと。御守袋は3色あり、写真の金色の御守袋は1,000円。
境内のいちばん東にある「楠珺社(なんくんしゃ)」は、樹齢1000年を超える楠の大樹を御神木とする神社。毎月の「初辰」(月初めの辰の日)に参拝すると「はったつ=発達」するといわれており、お参りすると、その証として「招福猫」を800円で授かることができます。
ちなみに、初辰まいりを48カ月(4年間)続けると、「始終発達」となって福を授かり、満願成就になるとのこと。初辰まいりの日は、早朝からたくさんの参拝者が訪れるそうです。
やわらかな光を放つ提灯が、神秘的な雰囲気を漂わせる。
★マニアさんのおすすめポイント★
住吉大社は川端康成の小説『反橋』の舞台となった地。そのほか、「遣唐使進発の地」の碑や「住吉万葉歌碑」などもあるので、こちらもチェックしてみてください。
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文豪が愛した坂が舞台となった小説のエンディングを碑文に

天王寺七坂の趣を感じながら、人情味あふれる小説の世界に触れる

代表作の『夫婦善哉』などで有名な織田作之助は、現在の天王寺区上汐4丁目で生まれました。大阪を舞台にした人情味あふれる物語を、軽快な文体で描く作風が人気で、33歳の若さで一生を遂げた後も、“オダサク”の愛称で親しまれています。
そんな織田作之助の文学碑は、『夫婦善哉』の舞台となった法善寺横丁にもありますが、今回酒井さんからは、「天王寺七坂」の一つである「口縄坂(くちなわざか)」にたたずむ文学碑をご紹介いただきました。
松屋町筋沿いにある「口縄坂」の石柱。ここから上り坂がスタートする。
天王寺七坂とは、南北は四天王寺西門から谷町九丁目まで、東西は谷町筋から松屋町筋までに存在する、7つの坂の総称。このあたり一帯は、数多くの寺社が密集する寺町の風情を漂わせるエリアで、酒井さんがガイドで使用する、100年前の古地図『大阪市パノラマ地図』を見ても、寺社が集まる、緑の多いエリアであったことがわかります。
『大阪市パノラマ地図』は、現在の航空写真を手描きで描いたような地図。写真中央の「くちなわ」と書いてあるところが口縄坂。 画像提供:国際日本文化研究センター
口縄坂は天王寺七坂の中で、織田作之助がもっとも愛した坂なのだとか。ちなみに口縄坂の名は、「坂の下から見ると道の起伏が蛇(=くちなわ)に似ている」ことから、つけられたといわれています。
みどりの景観が美しいスポットとして、「大阪みどりの百選」にも選ばれている。
「口縄坂は、木々の緑と白い壁とのコントラストが美しい、趣のある坂ですよ」と酒井さん。実際に上ってみると、石畳の階段のある、落ち着いた坂道の風情を感じさせる坂で、大阪の都会にいることを忘れるような気分になります。
ところで、坂の途中では「霞もにほふ夕陽丘 大阪府立夕陽丘高等女學校跡」と刻まれた石碑を目にすることもできます。この学校は現在の大阪府立夕陽丘高等学校の前身となる学校で、1906(明治39)年に大阪府立島之内高等女学校として設立され、その後口縄坂のそばに移転して、1909(明治42)に大阪府立夕陽丘高等女学校と改称し、1934(昭和9)年に現在の場所に移転したということです。
口縄坂がかつての通学路だったのかも。
そして、口縄坂を上りきったところに、織田作之助の文学碑があります。「口縄坂は寒々と木が枯れて 白い風が走っていた」から始まる一節は、1944(昭和19)年に発表された短編小説『木の都』のエンディングの文章。故郷で出会った親子のやさしさにあふれる情景と、主人公の哀愁が描かれた作品です。
主人公の新たな旅たちを思わせる一節が。
ところで、口縄坂のあたりは「夕陽丘町」という町名で、坂の上をさらに東に進んだOsaka Metroの駅にも、「四天王寺前夕陽ケ丘」という駅名がついています。これは坂の上が小高い丘のようになっていて夕陽の眺めがよく、鎌倉時代前期の歌人・藤原家隆(1158-1237)が入日にちなんだ句を詠んだことから、ついたものだといわれています。
坂の上から見下ろす美しい景色もじっくり堪能しよう。
天王寺七坂は、Osaka Metro谷町九丁目駅が最寄りの「真言坂」から南に向かって、「源聖寺坂」「口縄坂」「愛染坂」「清水坂」「天神坂」「逢坂」と並んでおり、酒井さんもガイドをすることが多いのだとか。
「たとえば、口縄坂の一つ北にある源聖寺坂は、口縄坂よりも道幅が広い石畳の坂で、カーブのある、いかにも坂らしい雰囲気を感じることができます」
みなさんも文学碑を訪れたついでに、情緒あふれる天王寺七坂めぐりを楽しんでみては?
上り口にある「源聖寺」にちなんで、この名がついたのだそう。
★マニアさんのおすすめポイント★
文学碑のある口縄坂は小説『木の都』の舞台。ところで入日にちなんだ句を詠んだ藤原家隆は、このあたりに小庵「夕陽庵(せきようあん)」を設けて余生を送ったそうで、文学碑から南へ歩いて3分ほどのところには、大阪府史跡の「伝藤原家隆墓」(「家隆塚(かりゅうづか)」)があります。
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当時の大衆が熱狂!直木賞由来の作家が描いた小説の1コマ

空堀地区を守る大樹のそばに建立の文学碑。有志設立の記念館も

「大衆性を押さえた長編小説作品あるいは短編集に与えられる文学賞」である直木賞。正式名称は「直木三十五賞(なおきさんじゅうごしょう)」であることをご存知でしたか?
直木三十五は現在の中央区安堂寺町2丁目に生まれた小説家。直木賞は直木三十五の死後に、当時の文藝春秋の社長であった、小説家であり親友の菊池寛が、芥川龍之介賞(芥川賞)とともに創設した文学賞です。
そんな直木三十五の文学碑は、中央区安堂寺町2丁目の坂の途中にあります。
文学碑沿いの南北へ延びる道は「御祓筋(おはらいすじ)」とも呼ばれる。写真は長堀通沿いにある、坂の上り口付近。
碑文に刻まれているのは『南国太平記』からの一節。当時の新聞に連載されたこの小説は、「大衆文芸に新風を吹き込んだ傑作」として大ヒットを収め、のちに映画化もされたということです。
文学碑の奥に見えるのは、樹齢670年超の槐(えんじゅ)の大樹をお守りするために建てられた「榎木大明神」。酒井さんによると地元では、空堀地区が戦災を免れたのは、榎木大明神のおかげだといわれているのだそう。
『南国太平記』は幕末の薩摩藩のお家騒動をダイナミックに描いた作品。直木三十五の持ち味である、リアルで臨場感のあるストーリーが、当時の大衆を熱狂させたという。
直木三十五にちなんだスポットはほかにもあり、直木三十五文学碑から歩いて5分ほどのところには、市民参加型ミュージアム『直木三十五記念館』(以下、記念館)があります。こちらは、昭和の建物をリノベーションした複合文化施設「萌」(ほう)の2階にあり、直木三十五の顔が描かれた外観が目印になっています。
住所は中央区谷町6-5-26で、11:00~17:00開館(水曜定休)。入館料は500円(中学生以下は無料)で、文学碑と並ぶ聖地に。
記念館は、直木三十五の出身地である、空堀の有志たちが設立したもので、貴重な写真や、ご遺族からの寄贈品などを展示しているとのこと。
また直木三十五は晩年、自身が設計した横浜の家で過ごしていたそうですが、内装に黒を多用した“黒の家”といわれていたことから、記念館も黒を基調としたインテリアにしたのだそうです。
本棚の書物は手にとって自由に読むことができる。
一段上がった多目的スペースは、ゆったりできる畳敷きになっていますが、これは直木三十五がうつぶせの状態で原稿を書いていたことにちなんだもの。在りし日の姿を思い浮かべながら、直木三十五の生涯や人物像に触れてみてはいかがでしょうか。
ところで、この多目的スペースで年に2回、直木賞の選考会に合わせて開催されているのが「勝手に直木賞 長屋路地裏選考会」。参加者がそれぞれ候補作の感想を述べて、受賞作を予想するというものです。
事務局長の小辻さんによると、作品を全部読んでいなくても、あらすじを解説してくれるということなので、興味のある人はぜひ記念館ホームページ(https://naoki35.jimdofree.com/)から問い合わせてみてください。
建物内の階段の壁面には、スタイリッシュにライトアップされた、過去の受賞作がずらり!
★マニアさんのおすすめポイント★
直木賞の由来となっている作家の文学碑。ここから歩いて5分ほどのところに直木三十五記念館があり、さらに歩いて3分ほどのところに空堀商店街があるので、セットでまわってみるのも楽しいと思います。

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母校の後輩へのメッセージを記した、女流作家の碑

美しい筆跡も必見。凛とした姉妹の像とともに

酒井さんが「朝ドラの題材になったことで、より親しみを持った作家です」と話す田辺聖子。生まれは現在の大阪市福島区で、「田辺聖子像」は、1940(昭和15)年から4年間の学生生活を過ごした、淀之水女学校(現在の学校法人淀之水学院 昇陽中学校・高等学校)のエントランス付近に建っています。
田辺聖子の出身校として、地元ではおなじみの存在。女子卓球選手の伊藤美誠さんも同校の卒業生。
田辺聖子像は、上の写真の右手にある新南館が完成した、1999(平成11)年に設置されたもので、当初は新南館の目の前に建っていたそうです。しかし、新しく城山キャンパス(大阪府豊能郡)ができ、生徒が移動に使うバスが校内に乗り入れるようになったことから、現在のエントランス付近に移動させたとのこと。
学校の敷地内にあるので、学校関係者以外の方は、校門の外から眺めてみよう。
田辺聖子像を制作したのは、香川県出身の彫刻家である岡田憲一氏。「姉妹」がテーマとなっており、あどけなさがありつつも凛とした、少女の姿をイメージすることができます。
教員たちからは、親しみを込めて「聖子像」と呼ばれているそう。
像の台座部分には、次の一節が記されています。

好きな友達がたくさんできて 私は
(今日もあの子に会える)
と思うと登校するのが楽しくてたまら
なかった記憶があります。……それだけで
「学校」というのは存在価値があるのです。

「淀川少女(おとめ)」の一文より

田辺聖子から後輩たちへのメッセージともとれる一節ですが、生徒でなくとも、この一節に励まされたという人は、たくさんいるのではないでしょうか。
思わず見とれてしまうほどに美しい、筆跡にも注目。
2024年で100周年を迎える淀之水学院。過去の周年記念誌でも、田辺聖子の特集記事を掲載。
700冊以上ものたくさんの著書を遺した田辺聖子。校内の図書館には田辺聖子コーナーもあり、芥川賞を受賞した『感傷旅行』など、その一部を貸し出しています。
恋愛小説やエッセイなど、今なお色あせない魅力が若い世代にも受け継がれている。
★マニアさんのおすすめポイント★
大阪を代表する人気作家の1人。近くを流れる六軒家川に架かる「朝日橋」では、青空と六軒家川が織りなす爽快な景色を眺めることができ、橋の南西のたもとには、徳川幕府が諸船の通行を監視した「初代大坂船奉行所跡」の碑が建っています。
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【編集後記】
大阪市の地理や歴史に精通する、古地図を使ったガイドが評判の酒井さん。筆者が質問するたびにさっと地図アプリを開き、歴史を交えつつ、詳細な説明をしてくださる姿がとても印象的でした。ご紹介いただいた文学碑は、駅からほどよい距離があるものもあり、気軽なまち歩きやお散歩にぴったり。取材時は酷暑で身も心もヘトヘトになりながらの取材だったので、過ごしやすい時節になったら、まわりの景色を愛でながら、改めて文学碑めぐりを楽しみたいです。
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