オオサカに眠るタイムカプセル オオサカ史跡マニア オオサカに眠るタイムカプセル オオサカ史跡マニア

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公開日2022.08.10

紹介してくれるマニアさん

大阪公立大学 大学研究推進機構教授・観光産業戦略研究所長橋爪 紳也さん

専門は建築史・都市文化論。工学博士。関西の都市政策や都市文化を研究。大阪府と大阪市の特別顧問として万博誘致に構想段階から携わる。『大大阪モダニズム遊覧』『大阪の教科書』ほか、著書は100冊を越える。

長き歴史を誇る大阪で脳内タイムトリップ!

1400年を超える歴史を持つ“古都・大阪”。実は、都市としては奈良や京都よりも長い歴史を誇ります。そんな大阪には、日本史において、重要な史跡が各地に点在。寺や城、古墳、集落跡などバラエティ豊かなラインナップの中には、「上町台地に並ぶ往古の史跡群」をはじめ、「城下町の発展や近代都市の歩みを語る史跡群」も。その両方を巡り歩くことで、現在にまで受け継がれてきた大阪の歴史を実感できること間違いなし。実際に足を運び、歴史に想いを馳せれば、まさに脳内タイムトリップ!壮大なスケールの遺跡や趣深い風景を目前に、当時の出来事や情景まで呼び起こされ、ノスタルジックな世界へと誘ってくれます。

目次

寺、城、古墳…多彩なマニア心をシゲキする“史跡”とは?

史跡とは、日本の「文化財(文化遺産)」における「記念物」の一種。日本史を正しく理解するために欠かせないもので、学術的価値のあるものと定義されています。また、日本にしか存在しない文化財の捉え方である点も特徴です。特に大阪には、「四天王寺」や「大阪城」、「帝塚山古墳」など、各分野のマニアも楽しめる史跡がずらり! その登録数は、大阪府内だけで約70ヵ所も。大阪がしばしば「日本史」に残る出来事の舞台となったことを物語ります。特に大阪には、「四天王寺」や「大阪城」、「帝塚山古墳」など、各分野のマニアも楽しめる史跡がずらり!寺マニア、城マニア、古墳マニアの方も、今までとは違う分野に目を向けて、歴史をより堪能してみてはいかが?

史跡探訪で歴史の教科書を復習しよう!

テレビや本、SNSなどメディアに触れていると、「歴史って、意外と面白い」と好奇心をくすぐられたこと、ありませんか? ただ、今さら教科書を見直すのはめんどくさい…。なら、街ブラ感覚で史跡探訪を。史跡の存在とは、過去から現在に至るまで歴史が繋がっていることの証明そのもの。すなわち、大阪はもちろん、日本の歴史を語るうえで欠かせない存在です。「仏教伝来」「天下統一」「廃藩置県」…など教科書に載っている史実のルーツを巡る旅へ、いざ出発!

大化改新!古都・大阪の歴史の始まり【難波宮跡】

難波は古代の日本の首都だった

大阪城から歩いてすぐの立地にある難波宮跡。
約9万㎡の巨大な史跡公園が整備された、古代の宮殿「難波宮」の跡地。大阪が約1400年かけて都市として発展してきた歴史の1ページは、ここから始まりました。当時の大阪は、上町台地以外は海と低湿地帯が大部分を占めていました。難波津と呼ばれる港湾があったことなどから7世紀半ばに前期難波宮(難波長柄豊碕宮)が、8世紀前半には後期難波宮(聖武朝難波宮)が設けられ、以後も中世の四天王寺、戦国時代の大坂城など数々の史跡が誕生します。近世に入ってからは、上町台地から西に発展のフロンティアを見出し、大坂の都市の歴史は大きく変化。台地の麓に広がる湿地を埋め立てながら、城下町の建設をはじめ工場地帯や近代的港湾も整備されることで、現在の姿へと変遷を遂げてきました。
どこまでが敷地なのか分からないほど巨大な難波宮跡公園。
難波宮跡の存在は、大阪の都市発展の始まりであると同時に、大阪・難波が日本の首都機能を担う時代があったことも意味しています。飛鳥時代に前期難波宮、奈良時代に後期難波宮、飛鳥時代に前期難波宮、さらには古墳時代にも難波の地にはしばしば宮殿が置かれたそう。公園に一歩足を踏み入れると、その圧倒的なスケールの大きさから、宮殿があった史実にも頷けます。
国家儀式で使用されていた宮殿内の大極殿基壇を復元している。
また、遺構(建物の跡)が2種類の方法で示されている点にも注目を。地面より一段低く赤いタイルが敷かれている部分が、大化改新による難波遷都後に造営された前期難波宮。逆に地面より一段高く石造で基壇が作られている部分が後期難波宮です。公園中央付近には、天皇が国家儀式で使用した宮殿の中心施設、後期難波宮の大極殿基壇も復元されています。都会にありながら穏やかな空気が流れる難波宮跡公園。忙しい日常に少し距離を置き、歴史に想いを馳せながらリフレッシュしてみてはいかがでしょう。

★マニアさんのおすすめポイント★
各時代で大阪・難波に都市機能があった事実を、意匠を使い分けて表現している点が面白い。
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仏教伝来!聖徳太子が建てた【四天王寺】

全人類に救いの手を差し伸べる「仏教の聖地」

伽藍の守護神である仁王像が祀られている中門。
大阪市のほぼ中央におよそ11万㎡の敷地を持つ、和州総本山四天王寺。聖徳太子により
推古元年(593年)に創建されて以来、幾度もの災害や戦災に見舞われ、その度に再建を繰り返してきました。現存する建物は、創建当時の姿を忠実に再現しており、飛鳥時代の意匠が今に残るのは珍しい。なかでも、中門から五重塔、本殿の金堂、講堂が南北一直線に並び、その周りを回廊が囲む「四天王寺式伽藍配置」は日本最古の建築様式。由緒ある建築が放つ優美で荘厳な雰囲気に、思わず足を止めてしまうはず。
伽藍の中心に位置する五重塔。南正面に釈迦三尊の壁画と四天王像が祀られている。
四天王寺の歴史で注目すべきは、仏教が日本で根付いたルーツに深く関係していること。『日本書紀』によると、仏教伝来前の日本では神を信仰する神道が唯一の宗教でした。そんな中で、崇仏派の蘇我氏と聖徳太子が中国由来の仏教を普及しようとし、仏教反対派の物部氏と対立することに。宗教的対立に加えて、政治的対立もあり、丁未(ていび)の乱へと発展。合戦のなかで聖徳太子は、仏の守護神であり、寺の名前の由来にもなった四天王像を彫り、「この戦いに勝利できれば、四天王を安置する寺院を建てて、この世の全ての人々を救済します」と平和を願いました。そして、勝利した後に、誓いを果たすために四天王寺を建立したのです。
歴史ドラマのワンシーンに出てきそうな回廊。十二単で歩く貴族女性の姿が容易に思い浮かぶ。
四天王寺には、病人や身寄りのない老人などのために、病院・薬局・社会福祉といった機能を持つ施設を用意。当時から宗派にこだわらず、“生きとし生けるものに救いの手を差し伸べる”という仏教ならではの教えを忠実に守ってきました。今なお四天王寺が多くの参拝者に親しまれ、聖徳太子の化身として仰がれる本尊「救世観世音菩薩」のもとへ多くの人々が足を運ぶのは、寛容な心が受け継がれ続けてきた証でしょう。
境内の北東に位置する日本庭園「極楽浄土の庭」。
その後、聖徳太子は再び戦が起きぬように、仏教と神道の両方を重んじながら、神社の建立を手がけることも。仏教と神道が共存する日本人特有の宗教観の礎も、この頃に築き上げられました。境内を巡り歩くと、都会の喧騒とは無縁の世界が広がる日本庭園「極楽浄土の庭」がお出迎え。水辺が映えるのどかな景観に思わずうっとり。静けさのなかで思う存分物思いに耽った後は、本尊へのお参りも忘れずに。

★マニアさんのおすすめポイント★
時空を越えて今に残る日本最古の建築様式「四天王寺式伽藍配置」は、一見の価値あり。
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天下統一!日本有数の特別史跡【大阪城】

戦国時代から近代まで、戦の歴史に大阪城あり

天守閣を美しく撮影できる人気の撮影スポット。
大阪を代表する日本有数の史跡として、特別史跡に指定されている大阪城。戦国時代から近代まで、約350年の間に起きた日本の戦を語るうえで、その存在は欠かせません。大阪城が建つのは、戦国時代に石山本願寺があった場所。平地より高い上町台地にありながら、水上交通の要としても機能していたため、戦の勝敗を分けるほど重要な立地でした。天下統一を目指した織田信長は「大坂は日本一の境地である」と謳い、石山本願寺の跡地に巨大な城郭の建設を計画したのです。
大阪城公園北側に位置する青屋門付近の内堀。高層ビル群に負けない迫力に注目を。
しかし、「本能寺の変」で敗れた信長の願いは叶わず。その後、豊臣秀吉が天下統一の拠点を大坂に定め、1583年に豪華絢爛な大坂城を築城しました。ただ、豊臣家と徳川家の戦い、大坂夏の陣により全て焼失。天下分け目の関ヶ原の戦いで勝利した徳川政権が、豊臣時代の大阪城の跡に1620年に新たな城郭を建造、当時の技術力の集大成と言わんばかりの要塞へと姿を変えました。この後も戦火や災害に見舞われるなか、近代でも大阪城跡地は東洋一の軍事基地として機能し続け、陸軍本部が置かれることも。長きに渡り、常に戦の渦中にあった大阪城。市民からの多額の寄付を得て、1931年に近代的な天守閣を復興、1997年に実施された「平成の大改修」を経て、現在の姿を残しています。
石山本願寺を攻めあぐねた織田信長が「千貫文を出しても奪いたい」と願った千貫櫓。
城全体を囲う外堀、本丸への侵入を防ぐ内堀、要所に配置された数多くの櫓(やぐら)など、大阪城に攻め入る隙はなし。敵軍になった気分で巡り歩けば、難攻不落の要塞と称される理由がよく分かります。また、徳川時代の石垣を再利用しつつ、天守閣には豊臣時代風のデザインを採用している点にも注目を。各時代の城が層を成しているのも大阪城ならではの見所です。
見晴らしの良い「西の丸庭園」から天守閣をパシャリ。遠目に見ても圧倒的な存在感を醸し出す。
大阪城公園内には最新施設をはじめお出かけスポットも満載!大阪城ホール近くにある複合施設「ジョー・テラス・オオサカ」や本丸内にある「ミライザ大阪城」など、多彩なグルメやイベントが楽しめます。そのほか、人気のお花見スポット「西の丸庭園」や内堀を遊覧できるクルーズツアー「大阪城御座船」など。気軽にピクニック気分で立ち寄るもよし、イベントの合間に巡り歩くもよし!壮大な戦の歴史を思い描きながら、脳内タイムトリップを堪能してみて。

★マニアさんのおすすめポイント★
現在に残される史跡のなかで、各時代の城が層を成している点が面白い!
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文明開化!江之子島政府誕生【大阪市役所江之子島庁舎跡】

市役所と府庁が共存していた唯一の時代

意外な場所に建てられている石碑を宝探し気分で探してみて。
中之島の西端から少し南に位置する江之子島エリア。木津川橋のすぐ東側にあるマンション脇道に、大阪市役所江之子島庁舎跡の碑が建てられています。この地に市役所が置かれた明治時代の江之子島は川に囲まれた貿易港でした。近隣の川口に波止場や外国人居留地があったことから、文化の発信地へと発展。港湾を中心に進んだ大阪の近代化を象徴する土地だったのです。明治7年に建てられた大阪府庁舎には、当時の先端技術であった重厚な西洋建築を採用し、「江之子島政府」と呼ばれるほどの名所となりました。
大阪市内では珍しくゆったりとした時間が流れている木津川橋周辺。
そして、明治22年に大阪市が誕生。今では考えられませんが、市制特例として大阪府庁が市役所業務を兼任していました。約10年経った明治31年に特例は廃止。このとき、大阪府庁舎の部屋を間借りすることで、市の行政は独立するに至りました。その後、大阪市役所は明治45年には堂島へ、大正10年に現在の中之島の地に移転したのです。
登録有形文化財に指定されている川口基督教会も併せてチェックしておきたい。
大正15年には大阪府庁も大手前へ移ることに。市役所でも、府庁でもなくなった建物は、昭和4年に大阪府工業奨励館として開設され、工業の近代化に貢献しています。木津川橋を渡り、数分歩けば登録有形文化財に指定されている川口基督教会もある江之子島エリア。川の景観を横目にゆったり散策してみれば、新たな歴史との出会いが待っているかも!

★マニアさんのおすすめポイント★
「江之子島政府」と呼ばれた当時の景観をイメージしながら散策しよう!
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廃藩置県!混乱を経て大阪府へ【摂津県・豊崎県県庁所在地跡】

現代の礎を築いた明治維新の功績に敬意を払って

駅名にもなっている崇禅寺の山門前にある石碑。
廃藩置県の歴史を物語る摂津県・豊崎県県庁所在地跡。この地に摂津県が置かれた明治2年の数年前、大政奉還により260年も続いた江戸幕府が終末を迎えました。直後に起きた明治維新により、江戸は東京に改称され日本の首都に。明治政府が中央集権国家を目指すなか、明治2年の版籍奉還により藩の土地と民衆を政府に返納させ、明治4年に廃藩置県を実施しました。身分制度を廃止し、すべての人が、住む場所や職業を自由に選び、自身の判断で結婚する権利を得たのです。
一時は摂津県の庁舎として利用されていた崇禅寺の境内。
ただ、実はこの版籍奉還から廃藩置県が施行される約2年の間には、目まぐるしい変化がありました。特に、現在の大阪府北部中部と兵庫県南東部にあたる、摂津国の所属はなかなか定まりません。明治元年からあった大阪府とは別で、明治2年に摂津県が置かれたと思えば、その3カ月後には豊崎県へと改称されます。また、数カ月後には兵庫県に合併される始末。幾度も県の管轄が変わるという異例の事態が起きるなか、ようやく廃藩置県により摂津国は川辺郡を除いて、大阪府へ再編入され今日に至ります。
境内には明智光秀の娘、細川ガラシャのお墓も。
そして、摂津県・豊崎県県庁所在地跡がある崇禅寺は、摂津県時代の庁舎所在地でした。新たな庁舎は建築されず、崇禅寺伽藍のいずれかを仮庁舎に充てたようです。約1万6000㎡もの敷地を持つ崇禅寺だからこそなせる技。さらに境内は豊かな緑に包まれ、悠久の時すら感じられる静けさが心地良い空間。淀川から徒歩10分ほどでたどり着くので、散歩がてら足を運んでみて。

★マニアさんのおすすめポイント★
当たり前に思える自由の礎を築き上げた、近代が誇る大きな功績に合掌を。
[shiseki_05]店舗情報

【編集後記】

史跡は歴史の証明。古代から現代、さらには現在に至るまで、本当に歴史が繋がってきたことを実感させてくれる存在です。身近な今日の生活や文化も、紐解けば史跡が持つストーリーから生まれた、なんてこともしばしば。今を生きながら、日本の歴史が大きく動いた時代へ、タイムトリップできる史跡探訪。今回の取材で初めて史跡を意識しましたが、巡るほどに楽しくなりました。“歴史に想いを馳せる”、まさにその言葉にふさわしい体験に、みなさんもハマってしまうかも!
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